李氏朝鮮が維新できなかった理由

B!

「朝鮮より日本のほうが壊しやすかった…だから明治維新が成功した」(中央日報)

--なぜ日本だけで可能だったか。韓国(当時の朝鮮)との違いは。

「260の藩に分かれていた連邦制的特徴と、天下の権力が天皇と将軍に分かれていた双頭制だったから可能だった。一言でいえば(国の体制を)壊しやすかった。朝鮮の支配階級『両班(ヤンバン)』は地主だったが、日本の大名と侍のほとんどは自分の土地を持っていなかった。土地がない官僚なので、彼らの権益や収入を国が奪いやすかった」

--朝鮮のほうが安定的だったから変化に不利だったという意味だろうか。

「そうだ。朝鮮は王が1人だったが、日本は2人(天皇と将軍)だった。朝鮮は科挙制度と性理学の伝統が強かった。当時の朝鮮の人々は、自身の(政治)制度を変える必要があるとは誰も考えることができなかった。科挙制があり、原則的には誰でも試験を受ければ官僚になることができた。現実はどうであれ、ひとまず『機会の平等』があった。朝鮮は日本より政治制度の整合性が高かった。(壊しにくく)しっかりと体系が整っていたため、結果的に改革が遅れたと考える」

面白い記事だと思います。
身分差や貧富の差による勉強の機会の格差によって科挙に『機会の平等』なんて全然ありませんでしたが、当時の李氏朝鮮が独裁のための反乱潰しのための仕組みはすごくよくできていたと思います。
当時の社会の仕組みは改めて学びたいと思いますが、通貨制度すらできないほど社会発達を阻害してまで強固な身分制度を確立していた世界を成立させていたのはすごいなと思います。

--大院君(テウォングン)の改革など、朝鮮の内部改革が成功していたら両国関係はどうなっていただろうか。

「両国間で戦争はあったかもしれないが、一方的な侵略はなかっただろう」

思想から権力までガッチガチの儒教体制で内部改革が成功する土壌が微塵もなかったと思うのですが、そこのところはどうなのでしょうか。
韓国の歴史観ではすごい国だったはずの李氏朝鮮なのですが、その実態はどんなものだったのか、いずれ纏めたいと思ってます。

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