日本と朝鮮半島関係史略年表 ver1.1

このページは、先史から現代まで日本と朝鮮半島の関連する出来事のうち主なものを年表形式に表したもの。
wikipedhiaの日朝関係史の年表を基に加筆修正している。

略年表

事柄
7000年前 縄文時代に九州北部と朝鮮半島南部で交流があり、朝鮮半島で縄文土器、日本列島で朝鮮半島由来の櫛目文土器が発見されている。
紀元前10世紀後半 日本で稲作が開始。
紀元前36年 高句麗建国。(~668年)
4世紀前半頃 百済建国。(~660年)
377年 新羅の中国文献の初出。この年までに新羅建国。(~935年)
399年 百済は、高句麗に対抗するために倭国と修好を結ぶ。
400年 倭国が新羅を攻撃。
404年 倭国が帯方郡を攻撃し、高句麗の好太王が撃退。
550年 ヤマト王権が高句麗との戦いに勝利。
552年 百済の聖明王が倭国に仏像、仏画、経典などを送り、高句麗は僧を送った。
557年 新羅が倭国に伽耶の調を献じた。百済が倭国に経論や律師、造仏工を献じた。
562年 新羅が加耶の全域を併合。
579年 新羅が倭国に調と仏像を献じた。
600年 新羅が任那を攻撃。倭国は任那救援軍を派遣して新羅に勝利。
602年
2月
来目皇子を撃新羅将軍として朝鮮に派遣。来目皇子の病気により中止。
643年
6月13日
高句麗で謀反があり、宝蔵王が即位。
660年 百済滅亡。
663年 白村江の戦いで倭国・百済軍は唐・新羅軍に敗北。
668年 唐の高句麗出兵で高句麗が滅亡。草薙剣盗難事件。倭国が遣新羅使を開始。
669年 倭国は第7次遣唐使派遣後、第8次(702年)まで遣唐使を中断。
670年 唐・新羅戦争が勃発。
676年 新羅が朝鮮半島を統一。(~935年)
708年 金上无が武蔵国で自然銅を発見。元号を和銅として、朝廷が和同開珎を発行。
716年 朝廷が旧高句麗の渡来系移民を集めて高麗郡設置。
731年 新羅、日本の兵船(300隻)が東辺を襲うが撃退する。翌年に東海道、東山道に節度使を置く。
739年 朝廷は東国からの防人を廃止。
752年
6月14日
新羅の王子金泰廉らが天皇に拝謁。
753年
1月1日
遣唐使と新羅使との間で外交席次をめぐる争い。
758年 唐で安史の乱。朝廷が旧新羅の渡来系移民を集めて新羅郡設置。
759年 新羅使金貞巻が日本に入朝。
761年
1月9日
武蔵国・美濃国の少年に新羅語を収得させ、11月17日に東海道、南海道、西海道に節度使を設置。
771年
6月27日
渤海使が漂着。
777年
4月22日
渤海使が来訪。
799年 日本は新羅との国交を断絶。
812年 新羅による弘仁の新羅の賊。
820年 新羅による弘仁新羅の乱。
836年 紀三津による最後の遣新羅使。
842年
8月15日
朝廷が商人以外の新羅人の入国を禁止。
870年 新羅による貞観の入寇。
893年 新羅による寛平の韓寇。
935年 新羅が滅亡。
936年 高麗が半島を統一(~1392年)。9月23日に咸吉兢が対馬に漂着、10月15日に李純達が大宰府に到着。
972年
10月20日
高麗使が日本に国交を求めたが、日本は朝貢以外は拒絶。
997年 高麗による長徳の入寇。
1019年 女真による刀伊の入寇。
1223年 「高麗史」資料による倭寇初出。
1271年 反モンゴルを掲げて高麗の三別抄が蜂起。日本へ救援を求めたが鎌倉幕府は黙殺。
1274年 元寇の文永の役。
1276年
3月5日
幕府内で高麗遠征計画。少弐経資が中心となり動員をかけたが準備不足で頓挫する。
1281年 元寇の弘安の役。
1375年 高麗による倭寇・藤経光誘殺未遂事件。これ以後高麗・倭寇相互に復讐行為が激しくなる。
1389年 康応の外寇。高麗による戦艦100艘による対馬侵攻とされるが日本側同時期に記録なし。
1392年 李成桂が朝鮮王朝を建国。(~1910年)
1396年 李氏朝鮮による対馬侵攻。日本側に記録なし。対馬守護宗頼茂も1398年までは確実に存在。
1419年 応永の外寇(己亥東征)。李氏朝鮮による対馬侵攻。227隻の船に1万7285人の兵士を率いて対馬に上陸したが、対馬守護宗貞茂の抵抗により敗北。
1428年 室町幕府への第1回通信使正使。
1439年 第2回通信使正使。
1443年 第3回通信使正使。嘉吉条約(癸亥約定)。
1470年 李朝が対馬に使節を派遣。日本の密航者の取り締まりを求める。
1509年 李朝が宗材盛に在留期限を超えた恒久倭の帰国を求める使節の派遣を予定。
1510年 三浦の乱。これ以降、李朝は日本人の三浦定住を禁止する。
1512年 壬申約条。李氏朝鮮(朝鮮王朝)から対馬の宗氏に対して通告された来航者取締規則。
1544年
4月
蛇梁倭変。倭船20余隻が慶尚道蛇梁鎮(だりょうちん)の江口に突入し、朝鮮水軍の兵を殺傷する事件。壬申約条破棄
1547年 丁未約条。朝鮮王朝と対馬の宗氏の間で結ばれた来航者取締規則。
1555年 達梁倭変。五島を根拠とする明人の王直らが朝鮮・全羅道で起こした事件。
1557年 丁巳約条。朝鮮王朝と対馬の宗氏の間で合意された来航者取締規則。
1586年 豊臣政権樹立。
1588年 海賊停止令。
1590年 第1回通信使
1592年 文禄の役。
1596年 第2回通信使。
1597年 慶長の役。
1598年 秀吉の死去により慶長の役終結。
1603年 江戸幕府が成立。
1607年 第2代将軍徳川秀忠に回答兼刷還使が来訪。日朝国交回復。
1609年 己酉約条により対馬と李朝の国交回復。
1617年 徳川秀忠に回答兼刷還使が来訪。
1624年 第3代将軍徳川家光に回答兼刷還使が来訪。
1635年 柳川一件。
1636年 徳川家光に朝鮮通信使が来訪。
1643年 徳川家光に通信使が来訪。
1655年 第4代将軍徳川家綱に通信使が来訪。
1682年 第6代将軍徳川綱吉に通信使が来訪。
1690年 朝鮮通信使の迎賓館として、福禅寺境内に客殿の対潮楼を建立。
1711年 第7代将軍徳川家宣に通信使が来訪。
1719年 第8代将軍徳川吉宗に通信使が来訪。
1748年 第9代将軍徳川家重に通信使が来訪。
1764年 第10代将軍徳川家治に通信使が来訪。
1811年 第11代将軍徳川家斉に最後の通信使が来訪。
1866年 八戸事件。
1875年 江華島事件。日朝修好条規を結び李朝が開港。
1880年 日本公使館が漢城に設置。李朝から日本への初の留学。
1883年 李朝から日本への集団留学が開始。慶應義塾と陸軍戸山学校。
1885年 李朝からの輸出総額の90%以上は日本向けとなる。(~1893年)
1894年 日清戦争。
1895年 下関条約。李朝は清との冊封体制から離脱。乙未事変で閔妃が暗殺される。
1896年
2月11日
高宗による露館播遷(~1897年2月20日)。改革派が独立協会設立。
1898年
12月25日
独立協会が強制解散。
1900年 義和団の乱。
1902年 日本の第一銀行韓国総支店が第一銀行券を発行。
1904年 日露戦争。2月23日に日韓議定書調印。8月22日に第一次日韓協約。
1905年
9月
ポーツマス条約。11月に第二次日韓協定。
1907年
3月
ハーグ密使事件。7月18日大韓帝国議会は高宗を退位させ、第三次日韓協約。
1910年 日韓併合条約により、韓国併合。9月朝鮮総督府設置。(~1945年)
1911年 朝鮮銀行設立。
1918年
1月
アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンによる十四か条の平和原則。朝鮮の独立運動に影響を与える。
1919年
3月1日
三・一独立運動。
1920年 尼港事件。
1923年
9月1日
関東大震災。朝鮮人虐殺事件が発生。
1945年
8月14日
日本はポツダム宣言を受諾して連合国に降伏。9月9日朝鮮総督府降伏。
1946年
2月3日
通化事件。
1948年 4月3日:済州島四・三事件、8月13日:大韓民国建国、9月9日:朝鮮民主主義人民共和国が建国。
1950年
6月25日
朝鮮戦争。
1953年
7月27日
朝鮮戦争休戦協定により朝鮮戦争が休戦。
1959年
12月4日
新潟日赤センター爆破未遂事件。
1961年
5月16日
5・16軍事クーデター。
1963年 李方子が韓国に帰国。
1964年
10月10日
1964年東京オリンピック開催。日韓は国交がなかったが韓国選手も参加。
1965年
6月22日
日韓基本条約。
1966年
3月24日
日韓貿易協定。
1968年 日韓議員懇談会発足。のちの日韓議員連盟。
1970年
3月31日
よど号事件。
1972年
7月4日
南北共同声明。
1973年
8月4日
金大中事件。
1974年
8月15日
文世光事件。
1979年
10月26日
朴正煕暗殺事件。
1981年
4月
韓国が、防衛および安全保障に絡み、5年間で60億ドル( 当時、2兆1,600億円)の政府借款を要請。日韓関係が揺らぐ事態に発展。
1983年
1月11日
中曽根康弘首相、現職首相として初の韓国訪問。11月1日:第十八富士山丸事件。
1984年
9月6日
全斗煥大統領、現職大統領として初の日本訪問。
1987年
11月29日
大韓航空機爆破事件。
1988年
9月17日
ソウルオリンピック開催。
1989年 韓国が海外渡航を完全自由化。李方子の葬儀が準国葬として行われて、三笠宮崇仁親王夫妻が参列。
1995年 サッカー・ワールドカップの日韓共同開催が決定。
1997年 アジア通貨危機。日本とアメリカを通信に韓国に金融支援。アジア通貨基金構想の発表。
1998年
10月8日
日韓共同宣言。
1999年 日韓のワーキング・ホリデー開始。
2000年 日韓国民交流年に指定。査証(ビザ)なし相互訪問」を恒常化。韓国で日本大衆文化開放が開始。
2001年
12月18日
今上天皇による「韓国とのゆかり発言」。
2002年
5月31日
サッカー・ワールドカップ開催。
2002年
9月
日朝首脳会談・日朝平壌宣言。
2002年
10月15日
拉致被害者5名が北朝鮮から日本に帰国。
2003年
4月
日本で「冬のソナタ」放映。「韓流」という語が日本でも知られる。

2003年
8月27日
第1回六者会合で北朝鮮核問題が話し合われる。
2004年
1月
韓国で日本大衆文化第4次開放。日本語の歌の放送が許可される。日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法公布。
2004年 日本政府、韓国を貿易管理におけるキャッチオール規制ホワイト国に規定、優遇処置へ。
2005年 円とウォンを相互に融通し合う日韓通貨スワップ締結。
2006年
10月9日
北朝鮮が咸鏡北道吉州郡で核実験。
2010年 日韓通貨スワップ協定の期限を3年延長。
2012年 李明博大統領による竹島上陸と天皇謝罪要求。
2013年
7月3日
日韓通貨スワップ協定終了。
2015年
12月28日
慰安婦問題日韓合意。
2016年 日韓の相互交流が700万人を超えて2年連続で過去最高を更新。
2017年
10月
国際連合教育科学文化機関が江戸時代の朝鮮通信使を世界の記憶に登録決定。
2018年
10月30日
大韓民国大法院が新日鐵住金株式会社に対し,損害賠償の支払等を命じる判決。日韓請求権協定を反故にする判断を下す
2018年
11月21日
韓国、慰安婦財団の解散を発表。2015年の慰安婦合意の事実上の無効化。
2019年

参考ページ